救い主の証人として

 エフラタのベツレヘムよ お前はユダの氏族の中でいと小さき者。お前の中から、わたしのためにイスラエルを治める者が出る。(ミカ書5章1節)
                  
 あと1週でアドベントの時を迎えることとなりました。クリスマスまでの日々を御子の降誕の喜びが現わされることを待ち望みつつ、準備をする期間です。さてマタイによる福音書では、このクリスマスの出来事、イエス様の誕生を、旧約聖書のミカ書の預言の実現であったと記しています。イエス様が生まれたベツレヘムは、都エルサレムからほど近い小さな町で、いわば大都会の陰に隠れるように存在し、そこでは羊飼いが羊の群れを放牧している、特に目立つことのない町だったでしょう。

 しかしベツレヘムは「ダビデの町」と呼ばれる由緒ある土地でもあったのです。クリスマスの出来事が起こる1000年ほど前、この町で羊飼いをしていたエッサイという人の一番末の息子が、後にイスラエルを統一王国として栄えさせたダビデ王だったからです。このダビデ王の出身地としてベツレヘムの町は知られていましたが、1000年後の現実はダビデの王朝も途絶え、その末裔はナザレという町の大工ヨセフという、これも特に目立ったところもない人物でした。そのように、ベツレヘムもダビデ王の血筋も歴史の変遷の中で埋もれ、誰からも注目されることのないものとなっていったのです。

 しかし、このベツレヘムに再び歴史のスポットライトが当てられる出来事が起こります。「今日ダビデの町で、あなたがたのために救い主がお生まれになった。この方こそ主メシアである。あなたがたは布にくるまって飼い葉桶の中に寝ている乳飲み子を見つけるであろう。これがあなたがたへのしるしである。」この言葉が天使によって告げられた時、それを最初に耳にしたのはベツレヘム周辺で野宿しながら羊の番をしていた羊飼いたちだったのです。羊飼いという職業は、当時は卑しい仕事として蔑まれ、羊飼いたちは裁判の証人として立つこともできないほど、その言葉は信用に値しないと思われていた人々であったと言います。そのような人々がクリスマスの出来事の最初の証人として選ばれたのでありました。

 クリスマスの出来事は、このようにこの世ではスポットライトの当たらない場所で、同じくこの世で光の当たらない人々を証人として、起こったのです。今、私たちの住む世界全体が、いつ収まるとも知れない新型コロナウイルスの感染拡大という深い闇に覆われ、誰もが光を遮られた不安や恐れを感じずにはいられない状況に置かれています。今までならば大通りを彩る様々な色に輝くイルミネーションや、クリスマスツリーに飾り付けられるきらびやかな電飾の灯りが、私たちの心を浮き立たせ、私たちの目にはこの世界が「明日はもっとよい日が来る」という希望の光として映りましたが、今年はそれらの美しく輝く光も、私たちを浮き立たせたり、私たちに希望を抱かせることも出来ないでしょう。ただこのような暗闇の中に打ち沈んでしまう世界の中で、「今日ダビデの町で」というあのクリスマスメッセージが、今までとは違うかたちで光り輝くのではないでしょうか?イルミネーションや電飾の光が色を失う今の時代、むしろ暗さの中でぽつりと灯るあの馬小屋の灯りこそ、私たちが探し求めるべき真実の救いの光であり、その光を心に灯された羊飼いのように、私たちも救い主の証人となって、この世界の悩み苦しみの中にある人たちに救いの道を指し示す使命を今こそ果たす時なのです。
(2020年11月22日週報より)