水の上にパンを浮かべよ

 あなたのパンを水に浮かべて流すがよい。月日がたってから、それを見いだすであろう。七人と、八人とすら、分かち合っておけ 国にどのような災いが起こるか 分かったものではない。(コヘレトの言葉11章1~2節)
                    
 私が牧師として最初に赴任したのは、新潟の三条市にある教会でした。その三条市の大崎山には「皆既日食の、日本初の科学的な観測に成功」した観測日食碑が立っているということを、10月6日の朝日新聞の投稿欄を読んで知りました。三条には11年間住んでいたのですが、その当時はこの碑のことは全く知らずに過ごしていました。投稿によると、この観測では、太陽の周囲のもやのような光、すなわちコロナの写真が撮影され、記録されたそうです。そのため、地元ではコロナを表現したお菓子が作られたり、コロナを社名にした暖房機メーカーもある(これは私も知っていました)と書かれていました。因みに、このコロナの写真が撮影されたのが1887年(明治20年)の8月19日のことだったと言います。この年は私たち広路教会の前身、名古屋第一美普教会が創立した年でもあります。

 このような、私が最初に赴任した三条の町の記事を読んで、今騒がれているコロナウイルスのため非常にマイナーなイメージで語られるようになったコロナという名称も、日本初の観測が行われた地元ではむしろ誇らしい名として受け継がれている、そのことを私自身もまた嬉しいこととして感じることが出来たのです。もう三条の地を離れてから28年も経ちますが、今世間がコロナの問題で暗い思いをしている中、三条ではそのコロナが明るい話題として伝え続けられている、それが私自身にとってのエールのように受けとめられたのです。28年前には全く知らなかったことを、三条を離れもう記憶の底にしまいこんでしまった今になり、突然、旧知の友と再会するような形で教えられた、そしてそれは今の私にとって二重にも三重にも「意味のある偶然」として示されたことのように思えます。

 三条の地でコロナの撮影がなされたその同じ年に、名古屋に広路教会につながる宣教の種が蒔かれました。その同じ三条の教会に私が牧師として最初の一歩を踏み出したのですが、その28年後に、今広路教会の牧師となっている私が、三条でのコロナ撮影の年にこの広路教会の最初の一歩もしるされたことを知ったのです。またこの記事から、コロナウイルスによって不安の闇に覆われている現代の私たちにも、133年前の日食の闇の中でコロナの光が輝いたように、新たな福音の光が輝き始める、そういうメッセージを受け取った思いがします。そしてさらに、私が全く知らなかったその三条でのコロナの初撮影の記事を、同じ年に誕生した名古屋第一美普教会(現広路教会)133年目の牧師である私が目にすることになった。それはまさしく「水に浮かべ」たパンを、長い時を経て、思いがけない所で見いだしたようなことと言えるでしょう。

 「国にどのような災いが起こるか分かったものではない」そのような時だからこそ、私たちは「七人と、八人とすら」福音の喜びと希望を分かち合っていくことを、このコロナウイルスの災いの中で、主への全幅の信頼をもって努めていきたいと願います。福音のパンは決して空しく流れ去るものいではなく、私たちの知らないところで、まだ見ぬ未来の世代の人々のもとへと届けられていくものなのですから。
(2020年10月11日週報より)