福音は留まることなく

 雨も雪も、ひとたび天から降ればむなしく天に戻ることはない。それは大地を潤し、芽を出させ、生い茂らせ種蒔く人には種を与え、食べる人には糧を与える。そのように、わたしの口から出るわたしの言葉もむなしくは、わたしのもとに戻らない。それはわたしの望むことを成し遂げわたしが与えた使命を必ず果たす。(イザヤ書55章10~11節)
                  
 先々週の土曜日から、九州全域にわたって大雨が続き、河川の氾濫や土砂崩れによる家屋の浸水、倒壊等、甚大な被害をもたらしました。また、数日間降り続いた雨により、岐阜や長野の河川も増水し、多くの市町村では避難勧告が出される状況になりました。このように、近年、豪雨災害が毎年のように起き、特に河川の流域や山間部では洪水や山の崩落によってたくさんの人が犠牲になってしまう災害が続いています。そして、何もかも押し流してしまう水の勢いの恐ろしさを、誰もが感じさせられているでしょう。

 昨年10月には、台風19号によって長野の千曲川が氾濫しましたが、この千曲川は長野から新潟県に流れて行き、新潟では信濃川という名称に変わる日本一長い川として知られています。私は10年程新潟に住んでいましたが、私のいた三条という町にも信濃川が流れていたのです。ある年、台風が日本海側を通過した際、川の流域にあった教会の窓から、信濃川が普段の何倍も水嵩を増し、ごうごうと音を立て茶色くうねりながら流れて行く様子を目にしたことがありました。その濁流となって流れて行く信濃川が遡れば長野で千曲川と呼ばれていることを、不勉強な私は当時知りませんでした。今思えば、おそらく、信濃川が濁流となっているその何時間も前に、千曲川はすでに増水し奔流となって勢いを強めていたのだと思います。

 私にとっては、目の前の川が物凄い勢いで流れているという印象でしたが、それははるか上流の千曲川ですでに起こっていた出来事の末端での影響に過ぎない事柄だったのです。「雨も雪も、ひとたび天から降ればむなしく天に戻ることはない」と聖書は語っています。確かに雨は今回のように、大きな災害をもたらす、恐ろしい自然現象ともなるものですが、また「大地を潤し・・・種蒔く者に種を・・・食べる人には糧を与える」恵みを人にもたらす、私たちが生きる上でなくてはならないものであることも事実であります。それは良きにつけ悪しきにつけ、私たちの人生や命に大きな影響を与えずにはおかないものなのです。

 それと同様に、またそれ以上に、神様の御言葉は、千曲川の水が信濃川に注ぎ、日本海に流れ出るまでその流れを止めないように、私たちの人生の川に天より注ぎ込まれ、そしてこの世界の海へと流れ出る福音の流れとして留まることなく伝えられていく、その使命を果たすまでは決して勢いを弱らせることのないものなのです。そして、その御言葉の影響は、時には溢れ出るほどに広がり、周囲に大きな変化をもたらすものとなります。確かに、今私たちの目に見える世界はコロナウイルスの脅威や相次ぐ災害への不安、また国と国、民族と民族、人種間の争いや差別という、どうしようもない激流に押し流されるような現実が広がっています。しかし、私たちの世界を創造された方は、すでにイエス様をこの世界へと送ってくださり、愛によって赦し合い助け合う大きな流れをこの世に流れ出させられているのです。その愛を受けて教会の群れはこの世界を真の平和と喜びへと導く、その使命を果たし終えるまでたゆまず伝道し続けて行くのです。
(2020年7月12日週報より)