目に見えないものを望む

 わたしたちは、目に見えないものを望んでいるなら、忍耐して待ち望むのです。同様に、“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。(ローマの信徒への手紙8章25~26節)
                
 今、毎日の報道では、コロナウィルスの感染者数がどこそこで何人あったかという統計が出され、その人数の増減によって緊急事態宣言の解除がなされる否かかの目安として注目されています。愛知県でも、感染者数が0の日もあったことで、一応の落ち着きを見せたという判断で政府の緊急事態宣言は解除されましたが、県独自の緊急事態宣言は5月末まで続くという状況になっています。感染者数が少なくなったからと言って、実際にコロナウィルスが減少したということではなく、また、人が集まったり移動したりすることで、いつ状況が悪化するかもしれないという不安は拭いきれないのです。

 確かに、私たち人間は「目に見える」統計や数を基準にして、外出を自粛するかどうかの判断をしています。しかし、目に見える数は決してそのままが真実を表すものではなく、その数にカウントされていない感染者がまだ多くいるのではないかという恐れは取り除くことは出来ないのです。

 ただ、そのような目に見える基準に私たちは一喜一憂しがちな弱い面をもっています。一応、感染者数が減少しているというニュースに「もうそろそろいいかな」という気持ちになって外出する人が多くなっているのも事実です。しかし、目に見えないウィルスはそのような私たちの希望的観測など忖度せず、また勢いを盛り返し多くの感染者を出すことになりかねないことも否定できないことでしょう。

 「わたしたちは目に見えないものを望んでいる」と初代教会の使徒パウロは語っています。パウロもまた、初代教会の現実が目に見えるさまざまな苦難、悩み、問題を抱えていることを知っていました。教会が福音を宣べ伝えることで、周囲の反対者から常に迫害を受けなければならない苦しみにあること。また、教会内部でも、考え方や習慣の違いから、互いに正統性を主張して争う分裂や分派が生じる悩みを。そして、パウロ自身も自分の中に自分を苦しめ誘惑する、さまざまな罪の思いがあることに苦しみ続けていたことも事実でありました。そのような「目に見える」現実がパウロの望むような神様の愛や福音からは程遠いものであったその中で、しかしパウロは「目に見えないものを」望み続けることこそ信仰なのだということを悟ったのだと思います。

 「同様に“霊”も弱いわたしたちを助けてくださいます」とパウロは続けています。聖霊の力は、目に見える現実の中で悩み苦しむわたしたち一人一々の弱さをカバーして、「目に見えないもの」を望み続ける者へと私たちを変えて下さるのです。

 「“霊”自らが、言葉に表せないうめきをもって執り成してくださる」と言うのです。聖霊は私たち一人一々の弱さを知り、悩みの絶えない現実に打ちひしがれる私たちの心を理解し、聖霊自身が「うめき」をもって神様に私たちの悩み苦しみを訴え、執り成してくれる。そのような聖霊が、祈ることさえ出来ない悩み苦しみにある私たちに代わって、神様に祈り執り成し続けていることに感謝しなければなりません。わたしたちは、目に見えない聖霊の助けによって、新たな希望の道へ導かれ歩み出せるのですから。
(2020年5月24日週報より)