取り上げてはならないもの

 「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つだけである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」(ルカによる福音書10章41~42節)
               
 今、ゴールデンウィークの真っ最中ですが、例年のように海外旅行や観光地に大勢の人が出かけるという光景は見られない、むしろステイホーム週間という名で、外出自粛が要請されている現実があります。そのような中で「不要不急」という言葉が毎日のように叫ばれています。「今、それが必要なことで、今、それをしなければ困る」という緊急性のあること以外のことはしてはいけない、するべきではないという注意勧告の言葉であります。
ルカによる福音書の中に、イエス様が弟子の姉妹、マルタとマリアの家にやって来た時、イエス様のお話を聞きに大勢の人が姉妹の家に集まったという記事があります。その時、姉のマルタはその訪問客の接待に追われ、イエス様のお話を聞くどころではありませんでした。ところが妹のマリアは大勢の客の中に交じってイエス様の話に聞き入っていたということです。その妹の様子に腹を立てたマルタはイエス様に向かいこう言いました。「主よ、わたしの姉妹はわたしにだけもてなしをさせていますが、何ともお思いになりませんか。手伝ってくれるようにおっしゃってください」と。
 マルタにとってはこの忙しくお客の接待に追われる状況の中、妹は仕事も手伝わないでイエス様の話をただ聞いているだけで、まさしく不要不急の無駄な時間を費やしていると思われたのでしょう。そのマルタの苛立ちに対しイエス様はこう諭されました。「マルタ、マルタ、あなたは多くのことに思い悩み、心を乱している。しかし、必要なことはただ一つである。マリアは良い方を選んだ。それを取り上げてはならない。」。
 不要不急という事についてそれを決める基準は人それぞれで、何を必要とするかしないかは個人の判断に委ねられる面が多いことでしょう。今はコロナウイルスの感染拡大防止のため、スポーツ観戦もコンサートや演劇・映画の鑑賞も「不要不急」の事柄として軒並み自粛要請や中止される対象になっています。しかし、それを生業としている人たちにとっては、それが「必要」なことであり、それをやることによって収入を得るのですから「緊急」の事柄であることに違いはありません。また、そのスポーツや芸術を楽しむ人にとっても、それで生活しなければならないわけでもありませんが、やはり生きる上で必要不可欠なものであると言えるのではないでしょうか?何故なら、人間はただ食べるためだけに生きているのではなく、食べるためには必要でない緊急性のない娯楽や趣味というものを「心の糧」としていく生き物なのですから。「それを取り上げては」人間は人間として生きていくことは出来ないのです。
 私たちキリスト者にとって、イエス様の御言葉が「必要」不可欠のものであり、何よりも「緊急性」のある、日毎の糧、日々の支えであることをあらためて思い返されます。礼拝の時がいかに私たちの人生を支え守り導く何にも増して必要であるものなのかを、今、その礼拝に集まれない不遇な時にこそ、必要なものはすべて備えて下さる主が、共に集い礼拝出来る喜びの日を取り戻して下さることを、日々祈り待ち望みつつ歩みましょう。
(2020年5月3日週報より)