イースターの朝に

 二人は言った。「なぜ、生きておられる方を死者の中から捜すのか。あの方は、ここにはおられない。復活なさったのだ。まだ、ガリラヤにおられたころ、お話になったことを思い出しなさい。人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている、と言われたではないか。」そこで、婦人たちはイエスの言葉を思い出した。(ルカによる福音書24章5~7節)
                

 今日、私たちはイースターの喜びの日を迎えました。しかし、ご存じの通り、今年は新型コロナウィルスの感染拡大防止のため、イースターの礼拝も教会では牧師だけで行うこととし、皆さんには礼拝に参加することを控えていただくという、本当に辛い決断をしなければならなかったことに心痛まざるを得ません。教会総会も例年ようには開けず、書面によって行うこととなり、何もかもが異例な形で新年度を出発することとなりました。

 しかし、このような時だからこそ、私たちはなお一層、主の御言葉に耳を傾け、その救いの御業を他の何にも勝る自らの喜びの出来事として、心に刻み付けていかなければなりません。イエス様の十字架の死の後三日目に、マリアたち女性の弟子たちはイエス様の体に香料を塗るために、イエス様の葬られた墓へと向かいました。彼女たちにとって、最愛の師であるイエス様を失った深い悲しみは、その遺体に香料を塗ることによっても決して慰められることではなかったでしょう。しかし、彼女たちには、せめてそれぐらいしか、イエス様の死に対し出来ることはありませんでした。ところが彼女たちがイエス様の墓の前まで行ってみると、墓を塞いでいた石が転がされていて、そこに「輝く衣を着た二人」の天使が現れたのです。彼女たちが恐れ顔を伏せると、天使はこう告げました。「なぜ、生きておられる方を死者の中に捜すのか。あの方はここにおられない。復活なさったのだ」と。

 実際、今私たちも、コロナウィルスの感染拡大という恐れの中で、顔を伏せざるを得ない状況に置かれています。ちょうど先週の「受難日」の日に、愛知県でも「緊急事態宣言」が知事によって出され、不要不急の外出の自粛や、学校の休校延長という要請がなされました。本当に、明日どのようになっていくのか分からない、行く先の見えない不安と恐れの中で、私たち教会もこの世界の現実の厳しさにうろたえざるを得ない無力さを感じます。ただ、そのような恐れの只中にあって、「生きておられる方を死者の中に捜す」ように、いたずらに悲しみうろたえ、顔を伏せることがあってはならないと天使は告げているのです。すでに、主イエスは「ここにはおられない。復活なさったのだ」からと。

  「人の子は必ず、罪人の手に渡され、十字架につけられ、三日目に復活することになっている」とイエス様がすでに予告されていたことを、マリアたちは天使の言葉から思い出し、そして急いで他の弟子たちに知らせに走ったのでした。私たちも、十字架の悲しみの前で立ち止まる者ではなく、その先にある復活の光を仰ぎ見て、その喜びをもって走る出す者でありたいと願います。主の御言葉をイースターの今、思い返しながら。
(2020年4月12日週報より)