わたしに良いことをしてくれた

 イエスは言われた。「するままにさせておきなさい。なぜ、この人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。・・・この人はできるかぎりのことをした。つまり、前もってわたしの体に香油を注ぎ、埋葬の準備をしてくれた。・・・」(マルコによる福音書14章6~8節)

                
 イエス様が十字架にかかる直前、ベタニアにおいて一人の女性から高価なナルドの香油を注ぎかけられたというお話があります。その時、周囲にいた人々がその女性の行為を責め「なぜ、こんなに香油を無駄遣いしたのか。この香油は三百デナリオン以上に売って、貧しい人々に施すことができたのに」と批判しました。しかし、イエス様だけは「なぜこの人を困らせるのか。わたしに良いことをしてくれたのだ。」と彼女のしたことを褒めたということです。

 無駄遣いといえば、以前大阪にいる娘が、弟であるわが息子の誕生日のプレゼントに肌用クリームを送って来たことがありました。しかし息子の方はそういう化粧品には全く興味がなく使わないままになっていたのです。そこで連れ合いの圭子が私に「あなたが使ってみたら」というので、まあ歳を重ねますます肌が荒れてきたこともあり、毎朝洗顔した後にそのクリームを顔に塗ることにしました。その1週間後にまた圭子が「あなた、あのクリームどうしたの?もう空になっているけど」と訊いて来ました。そこで私が「いや、毎日使ってたから、もうなくなったんだよ」と答えると、圭子が驚いてこう言ったのです。「あなたこれ一つ4千円もするのよ。一体どんな使い方したの」と訊きかえすので「手のひらにたっぷりつけて顔に塗ったんだ」と言うと、あきれた顔でこう言われました。「なんでそんなもったいないことをするの。指先にちょっとつけるだけでよかったのに」・・・。

 だいたい、ものの価値を知らない私がそういう高価なクリームを使ったところで、まさしく豚に真珠同然の無駄遣いでありました。しかし、イエス様に高価な香油を注いだ女性は、その香油の価値を知らない人ではありませんでした。ただ彼女はその高価な香油を、イエス様一人にために使い切ることを無駄遣いとは思わなかったのです。そしてイエス様はその女性がしたことを「わたしに良い」ことをしてくれたこととして喜ばれたのです。この時、イエス様は御自分に十字架の運命が迫っていることを知っておられたのです。イエス様の時代、死者を葬る際、遺体に香油を塗るのがしきたりでありました。イエス様はご自身が切迫した状況の中で、この女性が香油をありったけ注ぎかけた行為をご自身の葬りの準備として受けとめられたのです。

 このたびのコロナウィルスの騒動は、学校の卒業式や、社会人となる若い人たちの入社式という人生の大切な節目となる行事の縮小や中止を選択せざるを得ない状況をもたらしました。人生でこの時にしか出来ないこと、この時を逃したら二度と味わえないことがあることを、あらためて思わされた出来事でした。イエス様の十字架の出来事も二度とは起こらない、永遠にただ一度の出来事として起こった、私たちすべての人間の罪の赦しと贖いのための御業でありました。そのイエス様に対して、私たちが感謝してなすべき行いは、何一つ無駄になることはない、イエス様の喜ばれる行為なのです。
(2020年3月15日週報より)