平凡さの中にある平和

「いと高きところには栄光、神にあれ、地には平和、御心に適う人にあれ。」(ルカによる福音書2章14節)
                
 今年もクリスマスを迎え、24日のクリスマスイブの礼拝とコンサートには、多くの方々が教会に集まり、讃美の歌声をあげて主の降誕を祝いました。福音書には、イエス様の誕生した夜、天の大軍が現れ「いと高きところには栄光、神にあれ」と歌ったとあります。そして「地には平和、御心に適う人にあれ」と歌ったとも言います。それは神様の御子の登場が、神様の栄光を現し、この地上に平和が訪れるしるしであったということを意味する讃美の歌でありました。しかし、それから2000年の時を経た今の私たちの世界は、この歌のように「地に平和」が訪れている世界だと言えるでしょうか?

 今年の7月に京都アニメーションの会社にガソリンによる放火事件が起き、30数名の方が犠牲になるという大惨事となりました。また、台風15号や19号の襲来によって、千葉では鉄塔の倒壊による大停電が発生し、また関東東北一帯の河川が氾濫して流域の町が水没するという被害が広がりました。この台風によっても多くの犠牲者の方が出たという、痛ましい報道が伝えられました。そして世界の状況は、地球温暖化による環境破壊が急速に進行し、未来の世代に対して大きな負債を残すような現実がクローズアップされ、なかなか進まないCO²の排出規制に若者たちの怒りが増大しています。また、国と国とが互いに自国の利益や主張のみを声高に叫び、決して理解し合うことをしない、自己中心的姿勢を強めていることも事実です。

 そのように「地には平和」と天使たちが讃美の声をあげた時より2000年の時を経ても、私たち地上の世界の現実は改められないまま、不安や怖れが人々を支配し、争い憎しみ合う声のみがこの地上に満ちていると言わざるを得ません。しかし、この平和はすでに、御子イエスの降誕によってこの地上に実現したのだと聖書は語ります。それはまず「御心に適う人」にとって実現した平和なのです。そして、その平和の実現を主イエスの登場によって示され、そのことを何よりも救いの喜びとして信じた者のみが「地に平和」をもたらす一人一々としてこの世界に遣わされていくのです。その御心に適う人とは、特別な力や権威を持つ人々なのではありません。むしろどこにでもいるような平凡な人々、また平凡な人であるからこそ、この世界の苦しみや痛みの出来事を最も身近な問題として感じ、悩んだり迷ったりする、そのような人が「御心に適う人」なのではないでしょうか?そういう、どこにでもいる人だからこそ、主イエスの愛を誰とでも分かち合うことを願い望み、平凡さの中に真実の平和の訪れがあることに気づくことも出来るのです。

 「飼い葉桶に寝ている乳飲み子」の姿は、誰もが見ることの出来る平凡な馬小屋に現されました。それは軍事的な力によって守らなければならないような危うい平和ではなく、この世で優位な立場に立ち他の多くの人間を自分の支配下に置かなければ安心できない、そのような独占的で孤独なままに固守する平和でもありません。誰もが御子イエスの姿を自分の平凡な生活の中に見出せる、そのような人こそ、今日1日、他者と共に助け合い分かち合う生活の出来るその日々の営みを、何よりも平和への道として歩んで行けるのです。新たな年も、その日々の生活を主と共に喜び歩み続けましょう。
(2019年12月29日週報より)