小さな群れとして

 小さな群れよ、恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国をくださる。(ルカによる福音書12章32節)

 先週11月14日~15日にかけ、天皇の代替わりの儀式として大嘗祭が行われました。振り返るならば、今から30年前も平成天皇の即位に伴う大嘗祭が、国家挙げての儀式が催されたのでした。その時、キリスト教の立場から、公費を使って神道の儀式を行うことは憲法違反ではないかという、反対の表明をする声もあったのです。今回も、日本キリスト教協議会や、その他のキリスト教団体による反対署名が首相宛てに提出されたということでありますが、30年前のそれと較べて、署名の数は10分の1ほどであったということです。30年前、私が所属していた新潟の牧師会でも、公費を天皇即位のお祝いに支出することを反対し、それぞれの教会のある官公庁へ反対の意志を示す書面を提出することが決議されました。私も自分の教会のある市の市役所にその書面を持って行ったのですが、たった一人の市民の意思などいちいち取り上げるはずもなく全く効果はありませんでした。

 このように、日本の社会において天皇制に関わる問題はタブーとして、なかなか声を上げることが出来ないという状況は、30年前も今も変わってはいないのです。特にキリスト教は、天皇が現人神として絶対化された戦前・戦中においては「敵性宗教」として睨まれ、「天皇かキリストか」という踏絵を国家から突きつけられる苦しい立場に置かれた歴史があります。当時の教団は、その国家の圧力に逆らえずに戦争協力をさせられるという苦い経験をしました。そのような中で信仰のゆえに弾圧され、牧師や信徒が逮捕されたり、教会そのものが解散させられた例もあります。

 教会はそのように、この世では信仰のために迫害される危険を常に感じていかざるを得ない、弱く小さな群れであることを私たちは知らなければなりません。しかし、だからこそ「小さな群れよ、恐れるな」という主の御言葉をしっかりと胸に刻み付けていくことを忘れてはならないのです。「あなたがたの父は喜んで神の国をくださる」という希望のメッセージを与えられた教会として、私たちはこの世のあらゆる国家や権力の支配を、絶対的なものとして恐れたり服従する必要はないのですから。

 間もなくクリスマスシーズンを迎えますが、この時期、日本全国がキリスト教ブームになり、あちらこちらにクリスマスツリーが飾られ、クリスマスソングが流れるようになっていきます。しかし、教会へ足を向ける人は依然として少数のままであることに変わりはありません。そしてクリスマスが過ぎれば、今度は大晦日やお正月には大勢の人たちが神社やお寺に初詣でに出かけることも毎年変わらない風景であります。このように、私たちキリスト者は、日本では小さな群れにすぎませんが、その小ささの中に「最も小さい者の一人」としてイエス様が来て下さった。神の御子が私たちすべての者の救い主として馬小屋の飼い葉桶の赤ん坊としてお生まれになった。それは、この世の王や支配者が鳴り物入りでその威勢を多くの人に知らしめるようなお祭りではなく、その御子の登場はわずかな人々、羊飼いや外国の占星術の博士のみに知らされた小さな出来事であったのです。この小さな群れこそが、最も大きな神の愛の出来事を知らされた証人として、何者をも恐れず信仰の道を歩んでいけるのです。
(2019年11月17日週報より)