してあげたいほどの喜び

 だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。
                (マタイによる福音書7章12節)

 私は子どもの頃、父が学校の勉強のために、参考書を買って与えてくれた事を覚えています。しかし、それは勉強嫌いの私にとっては別に欲しくもなく、求めたものでもなかったので、1ページも開くことなく本立てに収まったままであったことも事実でありました。ところが私が中学生になった頃、父が毎月、当時講談社が出版した「江戸川乱歩全集」とか「横溝正史全集」という探偵小説の全集本を私に買ってきてくれるようになったのです。これには私もはまってしまったのです。江戸川乱歩や横溝正史の作品は、非常に猟奇的な事件や、やたらと連続殺人が起こるという極めて非教育的な内容でありましたが、中学生の私には大変刺激的で参考書よりも面白く読めたのも当然だったのです。

 父としては、マンガばっかり見ていてちっとも教科書や参考書に目を通さない私を案じて、とにかく活字を読ませたいという思いで買い与えてくれたものだったのでしょう。しかし、あとあと考えると、父も自分が読みたくて、私をだしにして買ってきたというのが本当のことだったのでは、と気づかされました。探偵小説というと、父の世代の人たちには、余りにもどぎつく、いい大人が読むようなものではないという、世間を憚る風潮があったようです。だから、息子に読ませるという大義名分で、実は自分が読みたくて買ってきたのではなかったか、と思うのです。

 事の真相はともかく、父にとってこの探偵小説というものが、やはり若い頃に読んで夢中になったものであったことは間違いないことだったのでしょう。だから、これなら勉強嫌いで活字を読まない息子でも読んでくれるに違いないと考えたのだと思います。その父の思い通りに、私も探偵小説に夢中になり読み漁るようになりましたが、そのためますます学校の勉強はそっちのけになってしまったという、大どんでん返しの結末になってしまったのです。

 「だから、人にしてもらいたいと思うことは何でも、あなたがたも人にしなさい。」自分が人にしてもらいたいことを人にするということは、人からしてもらったことが自分にとって最も良いことだという確信から行うことです。父も自分が若い頃に夢中になって読んだ本を私に与えてくれたように、自分が与えられて良かったと思うことを、自分も人にしてあげたい、そう望むようになるのが当然です。私たちキリスト者にとって、その与えられて本当の良かったと思うもの、自分に最も良いと感じるもの、それはイエス様という方そのものであると言えるでしょう。

 このイエス・キリストによって、私たちの人生は驚くほどに良いもとされた、イエス様の十字架の罪の贖いと復活による永遠の命の喜びを与えられ、信仰へと導かれたのですから。その大きな大きな喜びと感謝があってこそ、私たちは自分の力や知恵では決して手に入らなかったものを人生の宝として得、それを誰にでも与えたい知らせたいという積極性を持つようになります。また人に与えたい伝えたいという姿勢が、私たちの信仰のさらなる成長を促し、共に主イエスが生きて働いてくださっているという確信を深めていく。その喜びに満ちた道を歩んでいきましょう。
(2019年5月19日週報より)