2020年2月16日

最も小さい者の価値
 はっきり言っておく。わたしの兄弟であるこの最も小さい者の一人にしたのは、わたしにしてくれたことなのである。(マタイによる福音書25章40節)
                
 以前、長野の開田高原で木曽馬の飼育をしている牧場を見に行きました。木曽馬とは日本に古来から生息している馬で、足は短く胴体は丸く体高は130センチほどしかありません。今は木曽地域でも60頭ほどの全国でも貴重な種類の馬になっています。かつては農耕馬として明治時代にはかなりの数がいて高値で取引されていたそうですが、やがて農業の機械化によって労働力としての価値を失っていったのです。さらに、戦時中は軍馬としてサラブレッドのように体の大きい足の速い馬が重宝され、木曽馬のような小さな力の無い馬は国家の役に立たないものとして処分されていったと言います。
 しかし、そういう時代の流れの中、木曽馬をひそかに育て買い続けていた人もありました。そのわずかな生き残りから、近年その種の保存のための活動が始められ、徐々に数を増やし始めたのであります。確かに、人間のその時々の価値観で用いられたり不要なものとされたりするのが、家畜の宿命であると言えるかも知れません。しかし役にたつか立たないかではなく、その不要とされた木曽馬を家族の一員として慈しみ育てた人がいたことも事実なのです。
 聖書で語られる「最も小さい者」という言葉も、この世の中では用いられない、その価値を認められない存在を指して言われています。そして、その「最も小さい者の一人」に何をしたかしなかったかが、神様の目から見た人間の価値を問う基準とされているのです。私たちは、自分が世の中で役に立たない存在として切り捨てられることを恐れ、常に周囲から評価される人間であり続ける努力をし続けます。しかしそのような努力もいつかは限界が来ること、そして自分が世の中から無用なものとして捨て去られていくという不安や絶望に直面せざるを得なくなるのは、誰もが避けがたい現実でしょう。しかし、神様はそのような「最も小さい者」を「わたしの兄弟」と見ていてくださる、そのことを聖書は告げています。
 あの木曽馬が、サラブレッドのように、恰好よくも足も速くもなく、重い荷物を運ぶことも出来ない馬であっても、その小ささが木曽馬を愛する人にはその馬にしか見い出せない価値として映り、それゆえに大切に守り育てられた。それと同様に、神様にとっては、人間の価値はこの世で役に立つか立たないかということでは測れない、むしろこの世において小さな存在とされ、また人間自身も見失い忘れているところにこそ見出される価値なのであります。イエス様こそが、この世に「最も小さい者」としてやって来て下さり、この世界で無用な存在、価値なき者とされる病人、弱者と共に生きられ、また十字架への道をも最も貧弱なロバの子の背に乗って向かわれ、この世では最も呪われた者のしるしとしての十字架の上に掛けられた。そういうところにこそ、神様の人間世界に対する最も偉大な最も深い愛と赦しのメッセージが現れている、そのことを感謝しましょう。私たちもこの世の尺度では測れない、主の愛の尺度によって価値ある者として見出される、そのような神の前に価値ある命を持って生かされているのですから。
(2020年2月16日週報より)