2020年1月12日

平和の主が来られる
 わたしはエフライムから戦車を エルサレムから軍馬を絶つ。戦いの弓は絶たれ 諸国の民に平和が告げられる。彼の支配は海から海へ 大河から地の果てにまで及ぶ。
                (ゼカリヤ書9章10節)

 新年を迎え、お正月の穏やかな休日を過ごしていた1月3日に、アメリカがイランの英雄として国民の圧倒的支持を受けている将軍を、空爆により殺害したというニュースが飛び込んで来ました。また、そのことへの報復としてイランはイラクの米軍基地へ弾道ミサイルによる攻撃を行ったという報道もなされています。アメリカは「自衛」のためにイランの軍事的指導者を「殺害」したと言い、またイランはこれをアメリカによるテロであると怒りをあらわにして「報復」したのだということです。このような、国と国とが互いに己の正義を押し立てて、相手を悪として排除しようとする。それが、人類がこの世に誕生して以来、連綿として続いてきた「目には目を」という復讐の連鎖なのだと言えます。
 ニューヨークの動物園に「最も危険な生き物」という看板のある檻があって、その檻の中を覗き込むと鏡に自分の姿が映っている、というジョークがあります。しかし、案外それはジョークではなく真実のことを告げる「人間こそ最も危険な生き物」だという警告なのであります。人間は自分と違うという理由で、他者の存在を危険視し、自分を守るという言い訳で他者の命さえ奪うことを正当化します。他の生き物では、ありえない最も危険な生き物と言われる由縁であります。他の生き物は自分が生きるために他の生き物を捕え食べるということはあっても、自分と違うからという理由でむやみに命を奪うことはありません。ライオンでもお腹が一杯の時は、獲物となる動物がそばを通り過ぎても、襲うことはしません。また、地上を歩く動物が、羽根をもって空を飛ぶ鳥が自分たちと違う生き物だからという理由で殺したり攻撃することなどないでしょう。
 小学校の教師をしていた親戚が、アジアやアフリカから多くの労働者が日本に働きにきて、日本の街中でも外国語が飛び交うような状態を見て「あんな人たちの乗っている飛行機は落っこちてしまえばいいのに」と言う発言をしたのを聞いて愕然としたことがあります。それは本気で言ったことではなかったにせよ、自分と違う、自分が理解できない言葉を話す外国人に対する恐れと偏見から発せられた言葉でありました。相模原の障がい者施設で19人もの人の命を奪った元職員の犯人も、未だ自分のしたことは「この世から障がい者をなくす」ための正しい行為であったと言い続けていると言います。人間はそのように、自分とは違う、自分には理解できない相手に対し、これほどまでに冷酷で残忍になる、そのような「この世で最も危険な生き物」であることを、まざまざと実感させられます。
 しかし、そのような「最も危険な生き物」である私たち人間の世界に、神の御子イエス様は人としてお生まれになったのです。「高ぶることなく、ろばに乗って」来られる平和の王として。しかも、私たちを裁くためではなく、救うために、自らを私たちの罪の贖いとして十字架に掛けるために。その主イエスのかぎりない愛と赦しの福音を、私たちは自分も自分とは違う、自分には理解できない人も共に生きることのできる世界を築く最良の道として、この世の罪の現実を打ち破る神様の力として宣べ伝えましょう。
(2020年1月12日週報より)