2019年12月8日

この苦しみの時にも
 時が満ちると、神は、その御子を女から、しかも律法の下に生まれた者としてお遣わしになりました。それは、律法の支配下にある者を贖い出して、わたしたちを神の子となさるためでした。
                (ガラテヤの信徒への手紙4章4~5節)

 間もなく、クリスマスの日を迎えます。今年も1年を、主の守りと導きの内に過ごすことが出来ましたことを、心より感謝しつつ、クリスマスの喜びの日を迎えたいと思います。しかし、この1年、日本では様々な災害や事件事故が起こり、そのために多くの命が失われ、悲しみと困窮の内に過ごさなければならなかった人たちもいるということを忘れることは出来ません。また、日韓の間に「徴用工問題」をめぐり深い溝が出来、未だ埋まることがありません。香港では自由を求める市民デモが続き、それを後押しするアメリカと中国との間にも対立が深まっている現状があります。毎日のニュースを見ても、いじめや虐待、家庭内暴力の報道が尽きることなく、私たちの心を暗くするばかりです。日本で開催されたラグビーの世界大会では、多国籍の選手が日本チームとして善戦を果たしたことで「ワンチーム」という言葉が新流行語となりましたが、世界の現実は決して人と人、国と国とが一つにはなれない、むしろ自己中心的な言動によって互いに排除し合う勢いが増すばかりではないでしょうか?
 そのような世界に、2000年前、神様の独り子が人としてお生まれになった、そのクリスマスの出来事を私たちは新たな喜びとして覚えていかなければなりません。確かに2000年前の世界も、人と人、国と国との間に越えられない高い壁がそびえ、強い者が弱い者を虐げ搾取するような現実があったことは事実でしょう。しかし、その世界の過酷な現実の中で、イエス様は一人の幼子としてこの世に降り立ちました。しかも「女から」「律法の支配下」にある無力な赤ん坊としてお生まれになったとあります。ローマ皇帝が世界の中心として神のごとく他国を支配し、ユダヤにはヘロデ王が小さな皇帝のように民衆を思うままに扱っていたのです。そのような権力が人々を支配し抑圧していた時代、その支配の下に神の御子として、小さな命にその身を宿されたのがイエス様でした。それは「律法の支配下にある者を贖い出す」ために神様が独り子を遣わされた、その御子によってこの世の人々の救いが実現するためでありました。律法とは「こうあらねばならぬ」と人を縛り付けるあらゆる支配の根源にある力です。その律法は上から人に命令を下し、それに背く者を断罪排除する最も強力な権力です。しかし、その律法の下に神の御子イエス様が、最も小さく弱い幼子として遣わされたのは、同じ律法の支配の下で苦しみあえぐ人々をその支配から解放し自由を与えるためでした。その救いの業を十字架の上で果たされるためにイエス様はお生まれになった、そのことを抜きにクリスマスを心から祝うことなど出来ません。
 私たちの世界があらゆる力によって支配されるその時に、私たちと共にその苦しみを負い生きられるために御子がやって来られ、その苦しみから解き放ってくださるため十字架にかかられた、その主イエスの姿に私たちはあらゆる力に勝る神様の愛と守り導きを見出し、その喜びをもってこの世界に真実の解放と平和をもたらすため、福音を一人でも多くの人に宣べ伝えていきましょう。
(2019年12月8日週報より)