2019年9月22日

岩を土台とする人生
 わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。
                (マタイによる福音書7章24節)

 先々週の台風15号は、房総半島を縦断し、暴風被害によって千葉県全域で停電断水の被害が広がりました。そのため1週間以上、2週間近くに亘っても電力が復旧せず、夜暗い家の中で不安な時を過ごす方たちがおられるといいます。また、冷房が使えず、そのため熱中症になり、死亡者も出てしまうという厳しい状況ともなったのです。このような自然災害が毎年のように続いていますが、今回は一つの台風のために、これほど長い間復旧が進まず、日常生活が混乱に陥るなどとは、誰も予想出来なかったことでしょう。このような災害が起こることによって、電気も水も供給を断たれ、大変な苦労を強いられてしまう現代、私たちの生活がいかに脆い土台の上で営まれているのかを感じざるを得ません。
 今のように電力の供給が十分でなかった頃は、停電もしばしば起こり、そのたびにロウソクを点けて急場をしのぐことも日常生活の一部でした。確かに生活は不便で、台風や地震に対する準備も現代のように進んではおらず、そのため被害が大きくなったことも事実であります。ただ、そのような不便で暮らしにくい生活の中で、今のように電気がストップして何もかもが混乱に陥るような状況はなかったのではないでしょうか?電気は電気、水道は水道、ガスはガスという風に、その機能が別々に働いていたからかも知れません。今は、電力がすべての生活の土台を支えているが故に、停電により水道もガスもトイレも使えなくなってしまうパニックに陥ってしまうのではないでしょうか。
 イエス様は「わたしの言葉を聞いて行う」ことが、「岩の上に」家を建てることだと言われました。それはもちろん、自然災害に対して準備させるという現実的な問題ではなく、信仰の問題を語っている言葉でありますが、「岩の上」に家を建てるという比喩によって、私たちの人生がそのおおもとで何によって支えられているのか、そのことを教えているのです。現代の私たちは、電力によってすべてを賄っていく生活が当たり前に思っていますが、一つの台風によって電力が断たれすべての機能が麻痺してしまう、そういう時、いかに脆い土台の上で生きているのかを私たちは意識せざるを得ません。それと同様に、今の私たちの社会は、健康で若々しく、いつまでも働けることを人生の常識のように考える人が多いのではないでしょうか。それ故に、また老いや病、死といういつかは誰にでも起こる現実に対し、まるで自分にはそのようなことが起こらないかのような錯覚に陥ってしまうこともあるのです。しかし、その老いや病や死の問題を考えることなしに、真に人生の意味も、何が最も必要で大切なものなのかも分からなくなってしまう、それが本当のことではないでしょうか。イエス様は、十字架の死という自らの死を死に切られて、私たちに永遠の命の道を指し示してくださいました。だから、私たちの老いも病も死も、そのおおもとではイエス様の十字架の死と復活の命で支えられ、どんな人生の危急の際も、途絶えることのない永遠の命の希望の光に照らされるのです。
(2019年9月22日週報より)