2019年9月8日

愚かな者として聞く
 もし、あなたがたのだれかが、自分はこの世で知恵のあるものだと考えているなら、本当に知恵のある者となるために愚かな者になりなさい。(ローマの信徒への手紙3章18節)
                
 今年の夏休みの間、夫婦で紀伊半島を巡る旅をしました。その折り、奈良の賀名生(あのう)と言う所で「旧皇居跡」という表示があり、思わず車を停めました。なぜ、こんな所に「皇居」があったのかと疑問が湧いたのですが、そこの由来を語る看板を見て、14世紀の中ごろ、南朝の後村上天皇が郷士の堀家の居館に移り住んだことで「皇居」とされたことが分かりました。いわゆる南北朝時代と呼ばれる時代です。鎌倉幕府を倒した足利尊氏と後醍醐天皇が、政治の実権を巡って対立し、天皇が吉野に移って京都の室町幕府と長い間争い合う時代となった。それが教科書でも教えられる南北朝時代の状況でありました。私は南朝というのは、吉野にあるとばかり思っていたのですが、後醍醐天皇が亡くなった後、吉野の皇居が足利勢によって焼き払われ、南朝の天皇はこの賀名生の地へと逃れたということなのです。
 結局、足利幕府の三代目の将軍、義満の時代に南北に分かれていた朝廷が統一されたということですが、一般的には北朝が南朝を倒したという風に理解されます。しかし、その賀名生の地では足利尊氏が南朝の天皇に帰順して、南朝の天皇が正統な系譜として続いたという風に伝わっているのです。私は実際どういう経緯だったのか調べようと、家に帰ってから「太平記」を買って読みました。と言っても、決して古典文学書を読むほどの教養もなく、今、日本の古典がマンガになって出ているので、そのマンガ本の方を買って読んでみたのです。非常に長いお話なので上中下の3巻本になっていましたが、マンガですから半日くらいで読み終えたのです。確かに「太平記」でも足利尊氏が南朝の後村上天皇に降伏する場面があるのですが、それは、尊氏と弟の直義(ただよし)との間に権力闘争が持ち上がり、尊氏が直義追悼の勅許を得るため南朝の天皇を立てた、そのような事情のことだったようです。
 そんな風に、旅先での思わぬ出会いから、今まで知らなかった日本の歴史について、結構興味深く学ぶことになり、学校で習う日本史というものが歴史のほんの一部に過ぎないのだということを考えさせられました。「自分はこの世で知恵のある者だと考えているなら、本当の知恵のある者となるために愚かな者になりなさい」と聖書にあります。私たちが学んだ歴史も、決して完全なものではなく、また「太平記」の記述も文学上の脚色がなされていて事実そのままを伝えているものではないのでしょう。しかし、そのような歴史も今の令和と呼ばれる時代につながっている日本の歴史として知っていくことは大事なことだと思います。「知っているつもり」になっていて、結構知らないことの方が多いのだということを今回改めて感じたのです。「愚かになる」ということは決して恥なのではなく、むしろまだまだ知らないことがたくさんある、それを一つ一々知ることの喜びが与えられることなのです。聖書の言葉も、それを「知ったつもり」で読むのではなく「今、自分に向かって語りかけられている」初めて聞く言葉として受けとめる時、そこから私たちは新たな神様イエス様のメッセージを直接与えられる喜びを覚えることが出来るでしょう。
(2019年9月8日週報より)