2019年7月21日

主が来られる時に向かって
 しかし、わたしたちの本国は天にあります。そこから主イエス・キリストが救い主として来られるのを、わたしたちは待っています。(フィリピの信徒への手紙3章20節)
                
 先週の木曜日、京都の伏見にあるアニメーション制作会社で、ガソリンをまかれ放火されるという事件が発生しました。その火災により33名の命が奪われ、17名の人が入院、意識不明の重体の人がいると翌朝の新聞に出ていました。犯人の男性も大やけどを負い意識不明になっているとのことですが、なぜ、このようなことがという衝撃が、世界中のアニメファンの間に広がっていることも報道されています。アニメは子どもたちや、アニメを見て育った世代の大人にも、夢や希望を与える、今や世界共通の文化として認められています。その夢と希望を発信する制作会社で、このような残酷な殺傷事件が起こることなど、誰も予想できなかったことであります。
 今回の事件に限らず、今、私たちの生きる社会においては、自分勝手な理屈で人の命を簡単に奪ってしまう恐ろしい事件が連続して起こっています。それは、人間が自分の思いや欲望だけを絶対化して、自分の意に添わない相手は排除し抹殺することさえも恐れない、そのような自己中心的な考えを持つ「生まれながら罪の奴隷」と化してしまっているゆえの悲劇ではないでしょうか?
 聖書は最初の殺人者として、カインという人物を描いています。彼は弟のアベルが自分よりも神様に認められたことに対する嫉妬の余りアベルを殺害し、そのアベルの流した血を大地が呑み込んだ、と創世記の4章は記しています。そのため、カインは神様から「土を耕しても、土はもはやお前のために作物を産み出すことはない」と彼が犯した罪の重さを思い知らされたのです。このようなカインへの呪いから、人間は殺人という罪が自分自身をも殺す結果となって帰って来る恐ろしい行為であることに気付かなければなりません。今、世界はそのカインが犯した罪が連鎖するごとく、血で血を洗う抗争やテロ、戦争という最も呪わしい現実に浸食されつつあると言わざるを得ません。しかし、そのような「罪の奴隷」と化した人間の世界に、神の独り子イエス様が誰「一人も滅びないで、永遠の命を得る」そのようなゆるしと愛とを携えてやって来てくださったのです。そして御子イエスの十字架がご自身の死をもって、罪のゆえに死ななければならないすべての人間の罪と死の運命を一掃されたのです。
 今、私たちの社会を襲っている殺人や詐欺や差別の日常化という罪の支配も、すでに神様のゆるしと愛が十字架によって決定的な勝利を得たその事実の前で、もみ殻のごとく吹き去られる束の間の支配でしかないことを知らなければなりません。そして、やがて主キリストが救い主として再びこの世界を訪れる時、すべての人が愛し合い助け合う真実の神の国が実現することを、私たちは祈りつつ待ち望むことが出来る、その確信をもって生きていくことを忘れてはならないのです。「わたしたちの本国は天にあります」この言葉を、罪の支配の続くこの世界の中で、真実に主の愛を語り行うことによって現実のものとしていく一人一人でありたいと願います。
(2019年7月21日の週報より)