2019年7月14日

聖霊の助けによって生きる
 同様に、霊も弱いわたしたちを助けてくださいます。わたしたちはどう祈るべきかを知りませんが、‘‘霊,,自らが言葉に表せないうめきをもって執り成してくださるからです。
                (ローマの信徒への手紙8章26節)

 聖霊とは、私たち人間がしばしば苦しみの大きさ深さのあまりに、祈る言葉さえ失ってしまう、そのような孤独と絶望に陥ってしまう時、その私たちに代わって「言葉にあらわせないうめき」をもってわたしたちの苦悩を神様に伝え「執り成し」てくださる、そのような霊であります。地方の小さな町や山間部には駐在所という警察官の人が勤務し同時にそこを住まいとしている場所があります。駐在所の警察官は都市部の交番に勤める警察官とは違い、他の人と勤務を交代したり、勤務が終わって別の所にある自宅へ帰るわけではなく、常にその勤める町や村に常駐し、その地域の人たちと毎日顔を合わせ、親しい関係を保っているのです。地域の人たちからも「駐在さん」と親しみを込めて呼ばれることもある警察官の人は、その地域の住民の家の内情まで熟知していることも多く、警察の組織の一員という以上に近所の家同士のトラブルに関しても相談を受ける、地域の住民の一員として立場を優先する人ではないでしょうか?
 そのように聖霊も神様から遣わされている霊であっても、いわゆる人を監視したり取り締まる「怖い」イメージの警官のようにではなく、地域の住民に公私ともに密着し小さな相談にも親身になってくれる「駐在さん」のように「弱いわたしたちを助けてくれる」霊なのだと言えます。常に私たち人間の側に寄り添い、私たちの弱さゆえに犯す過ちや罪も、厳しく罰したり咎めるより先に、私たちの代わりになって神様に「執り成し」をしてくださる、それが聖霊のなす勤めなのだということです。親しくすればするほど、その相手の悩みや問題にも深く関わり、同情して「どうしたらよいのか」と呻きを漏らさざるを得なくなる、そのような愛をもって私たちに接する聖霊が常に見えざる姿で私たちの傍らにある、そのことが信仰者にとっての何よりの安心と慰めをもたらすのであります。
 今は親子でも家族であっても、互いに心通わせ合うことが出来ない、それゆえに家族の中で不幸な事件が相次いでいる現実があります。また教育現場でも、いじめによる自殺が後を絶たず、教師も生徒も本当にどうしてよいのか分からない苦しみ悲しみを抱え込んでしまう世の中になっている、と言わざるを得ません。しかし、神様はそのような人間の苦しみ悲しみの現場に、イエス様を遣わして私たちすべての人間の罪の赦しのために、御子イエスを十字架へと掛けてまで救いの道を開いてくださいました。また、イエス様は復活して天へ昇り、ご自身のいない間に苦しみ悩む私たち一人一々のために聖霊を送って下さったのです。そして私たちは聖霊によって神様イエス様との間に太く強い絆を持つことがゆるされているのです。神と御子と聖霊とが、弱いわたしたち一人一々を「よってたかって」守り励まし導いてくださる、そのことを信じるならば、どんな苦しみも悲しみも癒され、そこから立ち上がっていく勇気と希望を与えられるのです。私たちもその聖霊のを与えられた者として、この世界の執り成しのため祈り続ける駐在さんとして生きましょう。
(2019年7月14日の週報より)