2019年6月23日

今日という日の重さ
 だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の苦労は、その日だけで十分である。(マタイによる福音書6章34節)

 先週の6月18日は、昨年のこの日、大阪北部で大地震が起こった1周年目の記念日でした。その日、中国でも大きな地震があり、建物が倒壊し、死者も出てしまう被害となったことが朝のニュースで報道されていました。さらには、その夜10時過ぎに、今度は新潟と山形で震度6の大地震が起き、緊急報道番組が現地の被害状況をライブで伝えることとなったのです。この新潟や山形では地震によるけが人は出ても、死者は出なかったということが不幸中の幸いであったと言えます。しかし、いずれにしてもこの日の朝、中国の大地震のニュースを聞いた新潟や山形の人たちは、まさかその夜に自分たちが地震の被害を受けることになるとは夢にも思っていなかったことでしょう。そして、その新潟や山形の地震の報道を聞いていた名古屋の私たちも、もしかすると自分たちも同じ被害に遭うのではないかなどとは、それほど真剣に考えなかったのではないでしょうか?
 「明日のことは明日自らが思い悩む」という主イエスの言葉がありますが、私たちは今日のことでさえ本当に何が起こるのかを予測することが難しいのだということを思わされます。そして、予想もしなかったような災害や事件が起こるたび、人智を超えた自然の脅威や人間自身の中にある罪の闇の恐ろしさを思い知らされ、暗澹とした思いに囚われることもしばしばなのです。ただ、イエス様は「明日のことは明日にならなければ分からないのだから考えてもしようがない」という意味で「明日のことまで思い悩むな」と言われたわけではありません。むしろ、何を食べよう、何を飲もう、何を着ようと自分の生活のことで追われる余り、一番肝心な自分の人生の意味を見失ってはならない、そのことを主は戒められたのです。
 確かに不慮の災害や事件に巻き込まれ体や心に大きな痛手を負うことは誰にでも起こりうることですが、そのことを恐れて人生を不安なままに過ごすことになるのであれば、私たちは一体何のために生きているのか分からなくなってしまうでしょう。しかしイエス様の言われるように「その日の苦労は、その日だけで十分」であることを知るならば、今日という日が、自分にとってその日にしか出来ないこと、その日にだけなしえること、その日を過ぎたらもう2度と味わえない体験に満ちた一日なのだということを恵みとして覚えることもできるのではないでしょうか?
 今また年金だけでは老後の生活が成り立たないという不安を抱えている人たちが多くいます。私自身も、長生きをすればするほど、そのようなお金の心配が大きくなる不安に怯える一人であることは否定できない事実です。しかし、お金は確かに必要なものですが、それは私たちの命よりも大事なものなのではなく、むしろ私たちの生きるための手段としてお金が大切なのです。それをお金が足りないから生きることを悩むとしたら、それは本末転倒のことではないでしょうか。1日生きれば、それだけ私たちの人生は貴重な体験を増やし、昨日までは知り得なかった様々な人生の喜び悲しみ、苦労も苦労を乗り越えたあとの安らぎも知ることが出来る。そういう1日、今日という日の重さをイエス様は語っておられるのです。
(2019年6月23日の週報より)