2019年5月26日

赦されざる罪
 人の子の悪口を言う者は皆赦される。しかし、聖霊を冒瀆する者は赦されない。
                (ルカによる福音書12章10節)

 「聖霊を冒瀆する者は赦されない」とイエス様はおっしゃられています。では聖霊を冒瀆する、とは具体的にどのようなことなのでしょうか?マタイ福音書12章の箇所に、イエス様が悪霊に取りつかれていた人から悪霊を追い出す奇跡を行われたことが記されていますが、そのイエス様の行いを知ったファリサイ派の人々が「悪霊の頭ベルゼブルの力によらなければ、この者は悪霊を追い出せはしない」とイエス様を中傷したとあります。それに対しイエス様が返された言葉が次のようなものでした。「人が犯す罪や冒瀆は、どんなものでも赦されるが、"霊”に対する冒瀆は赦されない。人の子に言い逆らう者は赦される。しかし、聖霊に言い逆らう者は、この世でも後の世でも赦されることがない。」と。
 イエス様はご自身がどのような悪口を言われ、根も葉もない中傷を受けても、むしろ、そのような人が無知のゆえ、不信仰のゆえに犯す過ち罪に対しては「彼らは何も知らないのです」と天の神様にその人たちへの赦しを請う、それがイエス様の愛であります。そのイエス様が唯一「赦されることがない」と言われるのが「聖霊を冒瀆する」罪でありました。冒瀆とは「聖なるものを侵す」つまり人が神聖な事柄に関して自らの思い上がりによって否定するという越権行為を意味します。ファリサイ派の人々はイエス様が行ったいやしの業を「悪霊の頭ベルゼブルの力」によって行ったことだと根拠もない中傷をし、世間の人々にイエス様の悪いイメージを植え付けようとしたのです。それがイエス様個人への攻撃であれば、イエス様はそのことも赦して下さったに違いありません。しかし、彼らはイエス様を個人攻撃したのではなく、イエス様の行ったいやしの業を、あたかも悪霊の頭が行ったことであると決めつけたのでした。それは、イエス様を通して神様がなされた奇跡の業に対する甚だしい冒瀆であり、その罪だけは「この世でも、後の世でも赦されることがない」とイエス様も厳しく断罪されたのです。
 イエス様の奇跡の御業は、この世で最も苦しむ人、この世で最も低い立場に置かれた弱い人たちへの神様の愛の現れとして行われたものでした。そして、イエス様がその御業を行われる時に、聖霊が働き人々の病や苦しみを癒したのでした。そのような神様のみこころの中で、イエス様も聖霊も全力を挙げて一人の人間の救いのため働かれる、それほどに神聖な行為は他にないのです。もし、そのような神聖な行為を中傷し、悪霊の仕業だと言いふらすのであれば、その罪は永久に取り返しのつかない、その罪を犯した人間自身に滅びの道しか残されない、最も恐ろしい罪なのだということです。今、北方領土の問題で「戦争をしてでも取り返すべきだ」という乱暴な発言をした国会議員のことが話題となっています。それは戦争を余りにも知らなすぎる無知から出た言葉とはいえ、戦争で未だ癒されない多くの傷と痛みを抱えている世界の人々に対する最大の冒瀆であり、赦されるべきものではありません。聖霊は、常に最も苦しみ痛みを抱える者に、神様の愛と赦しによる真実の平和を与えるため働くのです。その聖霊を妨害する何者も赦されない、人間の思い上がりがどれほど大きくても、主の愛の前で滅ぶ以外に道はないのです。
(2019年5月26日の週報より)