2019年3月24日

「天の国の鍵」を持つ者
 わたしはあなたに天の国の鍵を授ける。あなたが地上でつなぐことは、天上でもつながれる。あなたが地上で解くことは、天上でも解かれる。(マタイによる福音書16章19節)
                
 ある小説家が、次のようなことを書いておられました。「人間は人生の節々で、誰かから大切な鍵を手渡されている。ただ、人はそのような手渡された鍵をしまったまま忘れていることが多い。しかし、それに気付いた時、自分の人生の新しい扉を開くことが出来る」と。イエス様は弟子のペトロが「あなたはメシア、生ける神の子です」とご自分に信仰告白をした際、彼に対して「天の国の鍵」を授けると言われた、と福音書にあります。その「天の国の鍵」とは一体何だったのでしょうか?
鍵というものは、決して誰もが簡単に持つものではありません。家の鍵は、家族以外の人間に渡すことは出来ないものですし、ビルや倉庫の鍵も、そのビルや倉庫の持ち主か、その持ち主に信頼されている管理者以外、勝手に使うことは出来ないのです。それと同様に、「天の国の鍵」も、イエス様が信頼し、この人ならばという相手に対し授けられたものであったと言えます。つまり、大切なものを守るために鍵があるのですが、その鍵を使う人は最も信用のおける人間である、ということが大事なのです。「天の国の鍵」をペトロが授かったということは、イエス様のペトロへの篤い信頼の証しであったと言えます。私たちもこのペトロのように「天の国の鍵」を一人一々授けられているのではないでしょうか?
 私がまだミッションスクールで聖書の教師をしていた頃、ある一人の生徒が私に千円貸してほしいと泣きついてきたことがありました。小遣いをつかい過ぎてしまい、困っているという理由でした。そして、その千円を、自分の持っているマンガの本で返すからという約束をしたのです。私はその生徒の言葉を信じて、千円貨しました。しかし、何日かしてその生徒が「学校にマンガを持ってくると、担任の先生に見つかって取り上げられてしまうので、少し待ってほしい」と言い出しました。その申し出も信じて私は待っていました。しかし、いつまでたってもその生徒がマンガの本を持ってくることはなく、とうとう卒業してしまったのです。ところが、数年たってから、その相手が外国の友達を連れて教会にやってきました。その外国人の友人が働き先を求めているので、どこか紹介してもらえないか、と頼みにきたのです。私は友人のために一生懸命になっているその姿に感心しました。あの千円貸した相手が、友達を助けるため私の所へ現れた。何年ぶりかでこんな再会を果たすとは思いもしなかったことでした。彼とその友人は、私か紹介した先に行くことを決め、礼を言って帰っていきましたが、後で気が付いたら、彼からはまだ千円返してもらっていなかったのです。しかし、それ以上のお返しは確かにあったように私には思えました。
 信頼をもって鍵を預けられた者が、また誰かのためにその鍵を使う時がある。私たちも愛をもって私たちに「天の国の鍵」救いの扉を開く鍵、すなわち主イエスの十字架と復活という出来事を自分の救いのためであったと知る、その信仰という鍵を授けられた者として、その鍵をまた一人でも多くの人に手渡しましょう。
(2019年3月24日週報より)