2019年1月13日

新しい歌を歌う時
 新しい歌を主に向かって歌え。全地よ、主に向かって歌え。主に向かって歌い、御名をたたえよ。日から日へ、御救いの良い知らせを告げよ。(詩編96編1~2節)
                
 新しい年を迎えました。昨年1年間の歩みを振り返りつつ、その間に起こったさまざまな出来事を通し、そこに主の守りと導きがあったことを思い返し、感謝することが出来る・・・そう思える人は幸いでしょう。しかし、現実には、私たちの人生は感謝することよりも、「なんでこんなことが起こってしまったのか」と思いがけないアクシデントに苦しんだり、「どうして、あの時こんなことをしてしまったのか」と取り返しのつかない失敗を悔やんだりする、そのことの方が圧倒的に多いのではないでしょうか?
 しかし、そういう苦しみや後悔を数え上げてばかりいたら、私たちの人生はお先真っ暗な、1歩前へ踏み出す希望も勇気も萎んでしまうことになるのです。新年を迎えるごとに私は次のようなお話を思い出します。有名な禅宗の高僧で、アニメでも知られている一休というお坊さんが、正月を迎えお祝いをしている家々を回って、このように説いたというお話です。「門松は冥途の旅の一里塚 めでたくもあり めでたくもなし」。人々のお祝い気分に台無しにしてしまうような不吉な言葉を口にして回ったというのですから、なんとも迷惑なお坊さんであったと言えるでしょう。しかし、この一休さんの言葉は、なにも人々の新年のお祝い気分に水を差すために語られたものではなく、むしろ、新しい年を迎えたということは、その分今までの人生とは違った新しい生き方をしていくべきだ、そのような教えとして言われたものであったように私は思います。
 自分の楽しみや喜びのために生きてきた人生を、他の人を喜ばせるための時間として用いていく、そのような新たな生き方に方向転換する、そのようなことこそ「新しい歌」を歌って歩み出すことの出来る信仰の道ではないでしょうか。最近、オリンピックでも金メダリストとして活躍し続けて「霊長類最強」と呼ばれ、日本の女子レスリングを牽引してきた吉田沙保里選手が引退を表明しました。今まで活躍してきたレスリングを辞めることは本人にとっても非常に辛い決断であったのでしょうが、やはりどんな道においても限界があり「冥途の旅の一里塚」を迎えた人間としてご自身の身の処し方を考えられたのだと思います。しかし、今まで続けてき選手としての人生は終わったとしても、これから後進の若い選手を指導し育てるという、また新しい生き方が始まる、そういう希望に向かって出発をされたこととして喜ぶべきことでもあります。
 信仰の道においても、私たちは「冥途の旅の一里塚」ならぬ「永遠の御国への中継点」として、この新年の時を覚え「新しい歌」を歌いつつ出発していくべきではないでしょうか。確かに前途多難なさまざまな不安や悩みを抱えながら歩んでいかなければならないことも多くあるでしょう。しかし、その苦しみ悲しみ悩みをも、主イエスが共に歩み共に悩み苦しみを分かち合ってくださる貴重な時間として信じる者には、どんな状況に置かれても「新しい歌」を喜びをもって歌っていける勇気と希望が与えられるのです。
(2019年1月13日週報より)