2018年12月30日

暗闇の中の光
言の内に命があった。命は人間を照らす光であった。光は暗闇の中で輝いている。暗闇は光を理解しなかった。(ヨハネによる福音書1章4~5節)
         
 もう何年も前のお話になりますが、岡山県の吹屋という、山の中にある、かつて銅山で栄えた町に出かけたことがあります。そこは、星がきれいに見える所だという話をネットで調べ、何か月も前にホテルも予約していました。しかし、出かける直前に見た天気予報では、もう岡山方面は雨模様で、星を見ることは出来ないと分かり、ガッカリしました。それでも、もう宿も決めていたし、貴重な夏休みの期間でしたので、目的の吹屋まで出かけて行ったのです。
 小雨の降ったりやんだりする曇りがちな日でしたが、ホテルについても空模様が気にかかり、夜8時ごろに外に出てみました。すると、雲が無くなっていて、星がポツポツと夜空に明りを灯すように現れたのです。そこで、ホテルから少し離れた街燈の光も届かない駐車場に行ってみると、見事な満天の星空が頭上に広がっていました。嬉しくなり、車の置いていない地面にブルーシートを敷いて、その上に仰向けになって空を見上げることにしました。
 天の川が天を横切っていて、時々、流れ星が視界の端々をかすめていくのが見えました。そういう夢のような時間を1時間ほど堪能したのですが、やがて夜霧が発生してたちまち星の光は遮られ、夜の闇が周りを包み始めました。翌日からは雨が降り続き、もう星を見ることは叶いませんでした。その後、名古屋に帰り見たテレビのニュースから、大雨のために広島で大規模な土砂崩れが起き、多くの方が犠牲になったということを知りました。
 そういう痛ましい出来事が、あの吹屋で見た素晴らしい星空の光景と共に、今も思い出されます。空には満天の星が輝いていますが、地上では厚い雲の下で悲しい出来事が頻発している、それは昔も今も変わらずに続く、この世の現実です。イエス様が降誕したクリスマスの夜も、空には満天の星空が広がっていたと思います。しかし、その一方で、キリストを抹殺するためにヘロデが送り込んだ軍隊により、ベツレハム周辺の多くの幼子が殺されてしまうという悲劇も起こったことをマタイ福音書は語っています。しかし、この地上がどのような暗く厚い雲に覆われ、この世界が人間の罪によってどんな痛ましい出来事が繰り返されても、天上にはまばゆく輝く満天の星が輝き続けていることを、私たちは忘れてはならないのではないでしょうか。
 かつて美しい星空を見た人が、その星空を再び見上げることが出来る時が来ることを信じ待ち続けるように、私たちは悲しみの続くこの世界の中においても、救い主がこの世に来て下さった、その喜びの光をこの目で見ることが出来る日を待ち望んでいきたいと願います。あるドラマのセリフに「会いたいと願っている人との再会の喜びの半分は、その人と会う時を待ち望んでいる時間の中にある」というものがありました。待ち望むことの出来る喜びを知る者こそが、暗い冷たい現実の闇の中でも、主イエスとの再会の時に向かいクリスマスの讃美歌を何よりも大きな希望をもって歌い続けていけるのです。
(2018年12月30日週報より)