2018年10月28日

あなたを待っています 
    (ルカによる福音書19章1~10節)     辻順子牧師(鳴海教会)

 徴税人というと、聖書では罪人として扱われていることはよく知られていますが、彼らはローマの役人の下請けとして無給で植民地の税金の徴収をしていた人であり、ローマからは「ローマ人ではない」ユダヤ人からは「ローマ(異邦人)のために働く裏切り者で汚れた者」とみなされていました。ローマとイスラエルの植民地政策の産物であり、望んでその立場に身を置いたのではないのに罪人とされる。どこにも頼る場所がない。神様にも頼れない。何者にも頼る事ができない徴税人が、唯一頼る事ができるものとして見出したのがお金でした。言い換えれば、お金以外の何物も頼る事ができなかったのです。
 徴税人ザアカイの住む町にイエスさまが訪問された。イエスさまは評判になっていましたから、ザアカイも一目みたいと思ってやって来ました。けれども彼は背が低かったので群衆に阻まれて、イエス様を見ることができません。ここに徴税人を排除する群集心理が現れています。誰も、ザアカイのために場所をゆずってくれる人はいませんでした。むしろ壁となって背の低いザアカイの司会を妨げたのです。ザアカイは走っていちじく桑の木に登るしかありませんでした。いちじく桑はとても折れやすい木だそうです。けれどもその折れやすい木に頼ってでも、イエスさまを一目見たい。ザアカイはそれ程切実にイエスさまとの出会いを望んでいたのです。
 そのザアカイの真下に、イエスさまは立たれます。イエスさまはザアカイの孤独をよくご存知でした。その思いに答えて、人々から蔑まれて低くされている徴税人ザアカイの下にお立ちになるのです。それはもし、木の枝が折れてザアカイが落ちたなら、下敷きになる場所です。私たち罪人が落ちたなら、どん底になったなら、さらにその下で受け止めよう。イエスさまのそのような姿勢が、この出来事にも現れているのです。十字架の上で死なれる主につながるお姿がここにあるのです。しかもその日、イエスさまはザアカイの所に泊まると言われます。ザアカイの孤独はイエスさまとの出会いで払拭されるのです。
 現代に生きる私達にも、イエスさまは同じように、いえ、もっと強力に関わって下さいます。聖霊の働きがそうです。私たちが不安を持ったり、孤独であったり、そのために罪とされることを行ってしまったりする時に、私たちを受け止めようとイエスさまは待っていて下さるのです。それが十字架のお姿です。確かにイエスさまは私たちのために死んで下さり、復活の後、もっと強固に私たちとつながるために聖霊を送って下さった。ザアカイは劇的に変わりますが、聖霊も私たちのうちに働いて、私たちを作り変えて下さるのです。
(2018年10月28日礼拝説教より)