2018年10月21日

目標を目指してひたすら
 なすべきことはただ一つ、後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ、神がキリスト・イエスによって上へ召して、お与えになる賞を得るために、目標を目指してひたすら走ることです。
                (フィリピの信徒への手紙3章13~14節)

 最近読んだ本に、ある高校の教師をしている方が、卒業式の後、最後のホームルームでこういう話をされたということが載っていました。その先生は卒業する生徒たちを前にこう語ったそうです。「私は君たちに『第1志望高に合格しよう』と言いませんでした。なぜなら誰もが第1志望がかなうとは限らないからです。それよりも、失敗や後悔を乗り越えた強さを身につけるほうが素敵です。私も一度教師を辞めて、飲食業界に飛び込んだものの、半年で辞めてしまいました。それから塾の講師をやったりして、今また学校の先生をやっています。私のことをイイ先生だと思ってくれている人がいるとしたら、それは私が人生のまわり道をして、今の仕事に活かしているからなのだと思います。だから、浪人やまわり道をしたっていいんです。将来、それがよい経験になったと笑える日が、必ず来るからです。」
 失敗や挫折を経験した人が語る言葉だからこそ、聞く方も納得して聞くことの出来る、実に心に染みるようなお話です。聖書に記された言葉も、そのような失敗や挫折を経た人の語る、その経験から滲み出るような一言一々であると言っても過言ではありません。初代教会の使徒パウロも、かつては律法主義者として、ユダヤ教の律法をことごとく学び守っていくことで神様の救いを得ることが出来ると信じ、その熱心さの余り「教会の迫害者」の急先鋒となった人でした。しかし、彼は復活の主イエスとの出会いにより、今まで自分が信じてやってきたことがすべて無駄であり、むしろ神様に敵対することであったことを思い知らされ、大きな挫折を経験したのです。
 しかし、そのパウロを再び立ち上がらせたのもまた、主イエスの十字架のゆるしと愛でありました。そのイエス様の十字架の愛の前で、パウロは自分の知恵や努力ではなく、ただ主の恵みによって救われる喜びを知り「後ろのものを忘れ、前のものに全身を向け」キリストの福音の宣教者として「ひたすら走る」道を行くようになったのです。私たちもまたパウロ同様、自分の知恵や努力で自らを救おうとしながら、幾度も失敗や挫折を繰り返し苦しむ経験をしてきた、それは誰もが自分の人生を振り返れば思い当たることなのではないでしょうか?しかし、そのような私たち一人一々を立ち上がらせ、再び前へと進ませてくださる主イエスの愛があることも、また私たちは知っているのではないでしょうか。
 有名なイソップ童話の「うさぎとカメ」のお話を、ある人はこう解釈しています。「うさぎは、ゴールを見ず、後ろにいるカメを見たから、途中で休んで負けてしまった。カメはうさぎを見ずに、ゴールだけを見ていたから休まず歩き続け勝てたのだ」と。私たちは信仰の道をこのカメのように、「目標を目指して」走ることが出来る、その希望と喜びを主イエスによって与えられています。他の人との競争や比較ではなく、自分なりに走って、かならずたどり着けるゴール、神の国を目指して。主イエスが愛をもって「よくやった」と迎えてくれる永遠の喜びの時に向かって。
(2018年10月21日週報より)