2018年9月9日

主の愛を土台として
雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。(マタイによる福音書7章25節)

 先週は台風21号が西日本を直撃し、強風によって車も電柱もなぎ倒され、大阪空港では高潮による海水に覆われ機能が麻痺し、何千人もの人が空港内に取り残されるような状況になりました。そのような大きな台風が過ぎ去り、まだ被害の爪痕も癒えない6日の木曜日未明、今度は北海道胆振地方を震源とする震度7の大地震が起こり、大規模な山崩れにより、多数の死者行方不明者が出るという災害が発生しました。また、その地震により北海道の広域で停電や断水、交通網の遮断という状況が起こり、今も被災地では日常の生活を営むことの出来ない不便さの中で、多くの人が苦しんでいます。このような自然の猛威によって、私たちの普段当たり前のように過ごしている生活が一変してしまうことを、しかし、日頃は忘れてしまっているのが私たちの現実でもあります。むしろ、日常の便利さ快適な環境の中で、このような災害が自分の身に起こることなど信じられない、他所事としてしか考えていないというのが正直なところではないでしょうか? 
 イエス様は山上の説教という長い数々の教えを人々に語ったその最後に、こう言われたと福音書は伝えています。「そこで、わたしのこれらの言葉を聞いて行う者は皆、岩の上に自分の家を建てた賢い人に似ている。雨が降り、川があふれ、風が吹いてその家を襲っても、倒れなかった。岩を土台としていたからである。」。このイエス様の言葉のように、私たちの人生は「何を土台としているか」によって、その結果が大きく分かれる、そのことを示されているのです。家がどれほど頑丈で大きくても、その家の建てられている土が軟弱であり、地震が起こった時に流水化現象を起こしてしまえばたちまち倒れ被害が大きくなってしまう、それと同様に、私たちの人生が目先の便利さや快適さのみを土台にして、その上であぐらを掻いているようなものである場合、思わぬ人生の嵐、それが災害であれ病気であれ、その予想もしなかった苦しみ悩みの中で私たちはもはや立ち直ることもできないほど痛手を蒙る事にもなります。
 しかし、もっと確かな土台、どんな嵐にも地震にもビクともしない大きな岩の上に立てられた建物であればが、それがどれほど貧弱な家であっても決して倒れない、そのことと同様に、イエス様の御言葉を「聞いて行う」ことを自分の人生の土台としている人は、どんなに思いがけない苦難がその身に起こったとしても、決して倒されることも希望を失うこともないのです。私たちは便利で快適な生活の中で、本当に土台とすべきもの、苦しみ悩みの中にあっても決して揺るがない主イエスの愛とその御言葉を見失いがちです。確かにその御言葉を「聞いて行う」ことは決して容易なことではなく、むしろ多くの悩みと苦しみも伴うことでしょうが、主が共にいてくださる、そのことを人生の土台としていく時、私たちにはどんな苦難も悩みも絶望的なものではなく、それを通して神様の恵みと守りがあることを知らしめられる恵みの出来事となのです。この世界がたとえ不安や恐れの嵐に揺らぐとも、私たちは揺るがぬ主の愛を土台とした救いの道を示していきましょう。
(2018年9月9日週報より)