2018年6月24日

揺り動かされない者
 私たちは揺り動かされることない御国を受けているのですから、感謝しよう。感謝の念をもって、畏れ敬いながら、神に喜ばれるように仕えていこう。(ヘブライ人への手紙12章28節)

 先週の月曜日に、大阪北部を震源とする震度6弱の地震が発生し、9歳の子どもを含め5人の方々が命を失うという悲しい出来事が起こりました。普段通りに学校に登校していた女の子が、学校のプールの目隠しのブロック塀に押しつぶされ亡くなり、また部屋の中にいた人が本棚の下敷きになって死亡するという、この大きな地震さえなければ決して起こることない悲劇が起きてしまったのです。その他にも都市部の交通網が機能せず、多くの人が通勤通学の足を奪われました。また震源地に近い町々では、停電や断水によって日常生活に多大な支障を被るという状態になり、また1週間近く経つ今も避難所に500人近い人たちが家に帰ることができないまま不自由な生活をされているということです。
 この一瞬の揺れが、人の生死を分け、普段何気なく暮らしている日常を一変させる、そのような現実に私たちは呆然となす術もなく立ちすくむ以外にないのではないでしょうか。私たちの住む世界は、私たちが普段思っているほど決して安全でも平和でもない、ということを今回の地震であらためて考えさせられます。大阪という名古屋よりもはるかに多くの人たちが暮らし、都市部では当たり前のように便利で快適な環境が整っている、そのような人間の営みもたった数秒間の大地の揺れによってあっけなく崩れ去ってしまうのですから。
 73年前の6月23日に、沖縄での地上戦が集結し、この戦闘によって当時の沖縄の住民の4分の1にあたる12万人もの人が犠牲になったということであります。地震や津波や台風以上に恐ろしいのは、人が起こす戦争という最大の罪であることを想い起こさせられます。私たち人間の心もまた、憎しみや怒り、互いに信じあえない不安や恐れという「活断層」によって引き裂かれ、その人間の罪が震源となって、昨日まで平和に暮らしていた人々の命と日常とを無残に奪い去ってしまうのです。
 そのような平和ならざる私たちの世界、一瞬の大地の揺れで日常が一変し、互いの疑心暗鬼から人と人とが命を奪い合う戦争が起こる、その私たちの世界に、神の御子がやって来て下さった、そして真実の平和と愛を私たちに与えるために、十字架によって救いの道を開いてくださった。そのことを私たちは地震よりも戦争よりも、はるかに真実のこととして受け入れ、また語り続けていかなければなりません。この世界がどのように、不安や疑いや憎しみ怒りによって動揺し、人と人とが互いに心通じ合えない現実に絶望していても、主の愛を信じる者はもはや動揺することも絶望することもなく、ただ一つの希望を信じ進み続けていけるのですから。
 「このように、私たちは揺り動かされることない御国を受けている」という信仰、この世界が明日終わるとしても「今日わたしはリンゴの木を植える」と言える確かな未来への眼差し。それはイエス様が私たちと共に生きて下さる、そのただ一つの希望に基く、どんな苦難の時代にも私たちを足元からを支える力なのです。
(2018年6月24日週報より)