2018年5月13日

キリストによる香り
 救いの道をたどる者にとっても、滅びの道をたどる者にとっても、わたしたちはキリストによって神に献げられる良い香りです。(コリントの信徒への手紙Ⅱ 2章15節)
                   
 人間の記憶について言うと、匂いとか香りというものが、最も過去の出来事を呼び覚ます契機となると言います。どこかから流れてくる花の香りを嗅いで遠い昔に住んでいた町の光景が浮かび上がってくる、そのような経験をした人も決して少なくはないと思います。私は今でも、夕方、通りを歩いていてカレーの匂いがどこかの家から漂ってくると、自分の少年時代に過ごした昭和の街並みが思い起こされ、郷愁を誘われます。しかしまた、嗅覚は思い出したくない記憶をも呼び覚ますこともあります。ある刑務所の受刑者の話として、夕食に焼き魚が出た時、その夜自分の収容されている部屋の扉に、自分が放火した家で焼死した被害者の姿が現れる、そのような怪談を聞いたことがあります。
 いずれにせよ、香りやにおいが、人間の記憶の蓋を開く鍵となっているということは事実でしょう。聖書にも神様に香りを献げるという儀式が古くから行われていたことが記されています。ノアの方舟の物語では、神様が地上に悪が増え広がり人の罪が満ち溢れる状況を嘆き、洪水によって人間をはじめ地上の生き物を滅ぼすという地球規模の大災害が描かれています。その中で、信仰深いノアとその家族は方舟によって、神様から託された地上の生き物一つがいずつと共に洪水をしのぎ、やがて水のひいた大地にたどりつき生き延びたとあります。その方舟から降りたノアが最初にしたことは「宥めの香り」の献げものであったと記されています。神様はその香りを嗅いで「人に対して大地を呪うことは二度とすまい」そう誓われたとあります。
 香りを献げることは、神様にこの時の誓いを思い出していただくための儀式として行われたのでしょう。私たち人間は、それほどに罪を犯し続ける存在であって、ノアの洪水によって滅ぼされた時代の人々とさほどの違いのない世界に生きざるを得ない一人一々なのだ、ということです。神様はその人間の罪を、「宥めの香り」を嗅ぐごとに、二度と地上を呪う原因とはしないと誓われたことを想い起こされるのです。
 しかし、私たちはその罪を神様から見逃されるだけの存在ではなく、むしろ、すでに罪を赦され、永遠の命へと生きる希望を与えられた一人一々でもあります。イエス様が私たちの罪をすべてその身に引き受けて十字架に掛かって下さった、その愛こそが、私たちをもう二度と罪の呪いによって滅びることのない、新たな命への道を歩むことが出来る身としてくださったのです。その信仰に生きる私たち自身が「神に献げられる良い香り」を放つ者としてこの世界に生かされているのだということを忘れてはなりません。かつて「シクラメンのかおり」という歌がヒットしましたが、本来、シクラメンは香りがなかったといいます。それが歌のヒットによって、香りのするシクラメンが作られるようになったというのです。私たちの信仰の人生もイエス様の愛に「香りづけ」され、神様とこの世界へ、赦しと愛と平和に満ちた世界を呼び覚ましていく香りを放ち続けていく新しい花として咲くのです。(2018年5月13日週報より)