2018年4月29日

かならず答えのある人生
 御主人様、あなたは蒔かない所から刈り取り、散らさない所からかき集められる厳しい方だと知っていましたので、あなたのタラントンを地の中に隠しておきました。
                   (マタイによる福音書25章24~25節)

 上記の言葉は、イエス様の「タラントン」のたとえの中に出てくる、主人から1タラントン預かった僕が口にする台詞です。このたとえ話は、主人が3人の僕に、それぞれの能力に従って、5タラントン、2タラントン、1タラントンという違った額のお金を預け、旅に出て行ったというのが始まりです。5タラントン、2タラントンを預かった僕たちは、それを元手に商売をして、主人のお金を倍に増やして返します。しかし、1タラントン預かった僕は、そのお金を土の中に埋めて隠してしまいます。そして主人が帰ってきた時、自分が預かったタラントンを預かった時のまま主人に返し、言い訳として語ったのが先の「恐ろしくなり云々」の言葉でありました。
 「恐ろしくなり」という言葉は、主人の厳しい性格を知って、お金を失うことばかり心配して商売にも手を出さなかったという、この僕の気の弱さから発せられた言葉のように聞こえます。しかし、それは主人が1タラントンを預けた時「力に応じて」彼に1タラントン預けた、その信頼に対する裏切りであり反逆でもあった、というのが本当のことなのではないでしょうか?
 ある本にこんな小話が載っていました。勉強せずに遊んでばかりいる子どもに対し、親が「お前は怒らないと勉強しない」と小言を言うと、子どもがこう言い返します。「『怒らないと勉強しない』というのを逆さまから言うと『勉強すると怒られる』ということでしょ。怒られるために勉強するなんてバカバカしいから僕は勉強しないんだよ」と。このように屁理屈をこねて勉強しない言い訳をするのですが、実は『怒らないと勉強しない』の反対語は『怒れば、いやいやでも勉強する』が正解なのです。この子は勉強したくないから、「怒られる」ことを「勉強する」ことの結果とすりかえて言い訳しているのです。
 子どもは「屁理屈」の天才です。自分が「したくないこと」の言い訳をするためにはどんな屁理屈でも押し通そうとします。「どうせ、僕が一生懸命やっても、もっと頑張らなきゃダメだって言われるから」努力する気になれない、と自分の怠慢を親や教師の態度のせいにするのです。しかし、親や教師は「この子なら出来る」という期待や信頼があって「もっと頑張れ」と言う、その子の可能性を発揮させるため、しばしば怒ったり、尻を叩くような厳しいことも言うのです。神様も、その親や教師が子どもや生徒に対するように「厳しい」態度で私たちにさまざまな人生の難問を投げかけることがありますが、それは「あなたならかならず、その問題に答えることが出来る」と私たちの「タラントン」に期待しての厳しさであり、また私たち自身が気づいていない自分の持っている力を引き出させるための厳しさでもあります。神様に信頼されるほどのタラントンを誰もが預けれていることを信じ、どんな人生の難問をも自分には答えられる希望ある問題として取り組んでいきましょう。
(2018年4月29日週報より)